もともと「カルミナ・ブラーナ」は、11~13世紀頃の遊歴書生や修道僧たちによって書かれた詩を集めた詩歌集であり、その写本が1803年にドイツ ミュンヘンの南にあるベネディクト派ボイエルン修道院で発見された。発見された土地にちなんでラテン語で「カルミナ・ブラーナ」=<ボイエルンの歌集>と名付けられたこの詩歌集の大半は、中世に宗教や学問の世界で共通語的な役割を果たしていたラテン語で綴られているが、古い時代のドイツ語(中世高地ドイツ語)や古フランス語、古イタリア語で書かれたもの、複数の言葉が一つの詩に混ざっているものも含まれている。詩の内容は風刺詩、恋愛詩、賭博や酒を謳ったものなど、当時の若い遊歴書生たちが現世の快楽を享受する思いを強くあらわした、世俗的な内容の詩が中心となっている。
作曲者であるカール・オルフは、1895年にドイツのミュンヘンで生まれ、ピアニストの母を持ち幼少よりピアノの才能を発揮したが、この曲を発表する42歳までは主に音楽教育に力を注いでいた。
世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」は、カール・オルフがオリジナルの詩歌集から24篇を選んで作曲した全25曲を、序章及び終章に挟まれた「春のはじまり」「酒場にて」「愛の誘い」の3部構成とし、≪楽器の伴奏を持ち、舞台上演によって補われる独唱と合唱のための世俗的歌曲≫という副題とともに、1936年に発表された。翌1937年6月8日、フランクフルト歌劇場でのバレエを伴った初演はセンセーショナルな大成功をおさめ、その後ドイツ各地で演奏されることとなった。カール・オルフとその作品「カルミナ・ブラーナ」が世界的に有名になるには、第2次世界大戦後のレコード録音の発売を待たねばならなかったが、この作品で初めての大成功を得たことから、それまでの作品の廃棄の依頼と本作品を新たな出発点とするとの宣言を、出版社へ書簡として送ったものが残っている。その後1982年に没するまで、オペラ・音楽劇などの劇場音楽を書き続けた。
この曲は、混声合唱(小編成の部分合唱や男声合唱を含む)・児童合唱・ソプラノ、テノール、バリトンのソリスト、2台のピアノ、チェレスタ、3管編成のオーケストラ、多数の打楽器という大編成にて演奏され、力強いリズムに乗った単純な旋律が繰り返されることによって、原始的な人間の本能を揺さぶり起こすかのような独特な印象を与える楽曲となっている。歌詞は中世の遊歴書生たちによる特に統一的なテーマを持たない詩歌集から部分的に抜粋されたものではあるが、1, 2曲目及び初曲が再現される25曲目に登場する運命の女神フォルトゥーナとその女神が司る運命の輪が、楽曲全体の隠れたメインテーマとなっており、ローマ神話の神々やトロイヤの興亡の喩えも加えながら、愛と美、そして酒に享楽し溺れる人間と、その結末として運命の女神からのしっぺ返し(運命の輪の回転)に見舞われる運命を、生々しくかつシニカルに描く構成となっている。オルフが作曲した、第2次世界大戦直前のドイツの栄光に対して、その運命の結末を感じ取り、その閉塞感を表現したかのようにも感じられる作品である。
(NobuNobuta)
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(2011年12月11日開催 松戸市民コンサート @森のホール21 プログラム掲載用に執筆)
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