2012-07-22

日本唱歌集

「日本唱歌集」のステージでは、多くの方々が子供の頃からよく耳にされ、口ずさまれたであろう楽曲をお送りいたします。 明治維新後の西洋文化に対する貪欲な吸収意欲により、音楽の世界では明治5年に初等教育学制に唱歌という科目が掲げられ、明治15年には「小学唱歌集」初編が公刊されました。最初は「蛍の光」のような西洋の楽曲に日本語の歌詞をつけた曲が大半でしたが、明治43年に刊行された「尋常小学読本唱歌」ではすべての曲が日本人によって作曲されるようになりました。それ以降昭和20年までに文部省の編纂による教科書に掲載された歌曲が、狭い意味での「唱歌(=文部省唱歌)」と呼ばれています。

本日演奏する曲の中には、厳密に分類すると、「童謡」や「わらべ唄」に分類すべき曲も含んでいますので、「赤い鳥」に代表される大正時代の童謡運動をご存じの方には、すべてを「唱歌」と一括りにすることに、違和感を持たれるかもしれませんがご容赦ください。

今回の曲目は、林光と増田順平がそれぞれに唱歌や日本歌曲などを男声合唱のために編曲したものをまとめた2冊の合唱曲集から5曲を選びました。林光の「日本抒情歌曲集」と増田順平による「コーラスアルバム」です。林光の編曲にはオリジナルの楽曲の持ち味を活かしながらも随所にお洒落なアレンジが施された曲が数多くあり、一方 増田順平の編曲はアカペラ男声合唱の独特の音色や風味を知り尽くしたうえで、子供が遊びながら歌っているかのようなコミカルな表現を加味した仕上がりとなっています。

1.早春賦  (吉丸一昌 作詩 / 中田章 作曲 / 林光 編曲 : 唱歌)
東京音楽学校 (現在の東京芸術大学)の学生の為に教授の吉丸一昌が作曲用テキストとして書いた詩に、当時在学中の中田章が作曲し、これを吉丸が「新作唱歌第3集」で大正2年に発表しました。早春を迎えながらもまだまだ寒い日が続き本格的な春を待ち焦がれる詩は、吉丸が人生の春をまだ迎えていない学生達に対しての激励の詩であったとも言われています。曲がモーツァルト作曲による歌曲「春への憧れ」と良く似ているとも言われている事から、林光はこの曲にお洒落なエッセンスを付け加えています。
 2.叱られて(清水かつら 作詩 / 弘田龍太郎 作曲 / 林光 編曲 : 童謡)
大正時代の童謡運動で有名な雑誌「赤い鳥」よりも2年早く、大正5年に創刊された少女雑誌「少女号」の編集をしていた詩人の清水かつらが、大正9年に発表した詩に数多くの童謡を作曲している弘田龍太郎が曲を付けました。
清水・弘田のコンビによっては、「靴が鳴る」「雀の学校」などの童謡も発表されています。
清水自身が幼い頃に母親と生き別れた経験を持つことが、詩の中で子守や奉公に出された子供達の寂しい気持ちのなかに込められているのかもしれません。
 3.ずいずいずっころばし(わらべ唄 / 増田順平 編曲)
江戸時代に流行りだした、鬼役を決めるための遊び唄です。
増田順平による編曲では、元々のわらべ唄の歌詞には存在しない、続編ともいうべき詩が付け加えられています。「俵の鼠」のかわりに「炬燵の子猫」、「チュウチュウチュウ」が「ニャアニャアニャア」。この続編は戦後の「うたごえ運動」の周辺から産まれてきたと言われていますが、続編部分の作者も不詳です。
 4.浜辺の歌(林古渓 作詩 / 成田為三 作曲 / 林光 編曲 : 唱歌)
歌人であった林古渓が中学校教師をしていた頃に東京音楽学校の雑誌に作曲課題詩として発表した「はまべ」に、山田耕筰の門下生であった成田為三が作曲したものです。この曲は元々3番までありましたが、作詩者の林古渓が3連目が元々の詩と異なる事を理由に流布を嫌ったため、現在は2連目までの詩が使われるようになりました。
 5.どんぐりころころ(青木存義 作詩 / 梁田貞 作曲  / 増田順平 編曲 : 唱歌)
大正時代に青木存義によって作られた唱歌集『かはいい唱歌』にて発表されました。青木の生家の庭にあった池に泥鰌が飼われていたという体験がこの詩の発端となったと言われています。戦前の検定教科書の教材として認定を受けて唱歌の仲間入りをしましたが、発祥の経緯や時代背景としては限りなく童謡に近いものです。
「お山が恋しいと泣いては泥鰌を困らせた」と物語が完結しないままになっていることから、のちに他の詩人たちによる3番、4番が作られるという試みもされています。
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(2012年7月 大阪男声合唱団 第12回定期演奏会 プログラム 曲目解説として作成)

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