クラシック音楽に親しまれている方の多くには「モツレク」という通称で通じ、ヴェルディ、フォーレの作品を合わせた「三大レクイエム」の中でも、さまざまなBGMなどで日頃から耳にする機会が一番多いのが、モーツァルト(1756-1791)作曲の「レクイエム K626 ニ短調」です。
モーツァルトが病の床に伏せりながらも、自らに与えられた最期の務めであり、自身のためのレクイエムでもあるとの想いから、ひたすらに作曲を続けたすえに35歳の若さで没して未完の遺作となったこの「モツレク」。これまでに、200以上の死因説と共にさまざまなエピソードが語られ、映画の題材にもなるぐらいに有名となっています。
1791年夏、オーストリアのシュトゥパハ村に住むヴァルゼック伯爵から、同年2月に亡くなった妻の毎年の命日を追悼するためのミサ曲の作曲を、モーツァルトの見知らぬ謎の男を介して依頼がされました。しかも、依頼主のゴーストライターとして作曲を行い、依頼のことは秘密に、という条件付きでした。もし、この依頼が要求通りに行われ、モーツァルトが亡くなった時点での未完成の状態のままであったなら、きっと現在のように有名な作品としては世に残っていなかったかもしれません。モーツァルトの悪妻として後世に名高いコンスタンツェが、未亡人となり生活に窮したことから、モーツァルトが亡くなった直後からレクイエムの遺稿を他の作曲家に委ねて完成をさせて、本来の注文主であったヴァルゼック伯爵に納めた一方で、数社の出版社にも売り渡したという経緯があったからこそ、本日演奏する形でのレクイエムがモーツァルトの作品として遺されることとなりました。
ただ、現代に同様の事が起きていたなら、代理作曲、捏造、剽窃、契約外の転売、さらには悪妻コンスタンツェに関するゴシップ的な疑惑まで暴かれて、マスコミで大騒ぎされるような一大スキャンダルになり、せっかく完成させた曲も闇に葬り去られるに違いありません。
「レクイエム」は、ローマ・カソリック教会において死者の安息を神に祈るための儀式「死者のためのミサ」の式次第の俗称です。ミサの最初の言葉が"Requiem"で始まり死者の安息を主に願う"dona eis requiem"という祈りの文句が随所に現れることから、そのミサで演奏するミサ曲のことも含めて「レクイエム」と呼ばれるようになりました。
モーツァルトの「レクイエム」では、ミサの開幕を告げる "Introitus(入祭唱)"に始まり、"Kyrie","Sequenz(続唱)", "Offertorium(奉献唱)", "Sanctus","Benedictus", "Agnus Dei"と続き "Communio(聖体拝領唱)"に終わる、8つの部分からなり、このうち"Sequenz"が6つ、"Offertorium"が2つの楽曲に分かれているため、全部で14曲から構成されています。
モーツァルトが没するまでに、自身で完成させていた曲は、初曲の"Introitus"だけで、続く"Kyrie"は殆どが完成していたものの、"Sequenz","Offertorium"に関しては声楽部分と管弦楽のバスパートと主要な和声だけが遺され、"Sequenz"の最後の楽曲である"Lacrimosa"は、最初の8小節だけが書き込まれた絶筆の譜となっています。
"Introitus"と"Kyrie"については、弟子といわれている、ジュスマイヤー(1766-1803)とフライシュテットラー(1761-1841)とが"Kyrie"のオーケストレーションの補筆を行い、死の5日後の追悼式で演奏されました。その数日後に、アイブラー(1765-1846)がコンスタンツェからの補筆依頼によって完成を目指したものの、"Lacrimosa"が断片しか遺っていないなどの理由で断念に至り、改めてジュスマイヤーが補筆を仕切りなおし、"Lacrimosa"の後半と"Sanctus","Benedictus","Agnus Dei"は新たに曲を作り、"Communio"は、モーツァルトの生前の指示に従って"Introitus","Kyrie"の再現部として歌詞を置き換えることによって、「レクイエム」を完成させたといわれています。注文主のヴァルゼック伯爵は1793年12月14日に自らの作曲の「レクイエム」として初演を行いましたが、実は同年1月のうちにコンスタンツェがモーツァルトの曲としてこっそりと披露する機会を持ったという話も残っています。
このジュスマイヤーの補筆・追加部分に対しては、後年のモーツァルト研究者達によって、オーケストレーションが稚拙で不自然な部分に対する指摘がされ、その後の研究で新たに発見されたモーツァルトが書いたとされるスケッチなどを使用したりした新たな校訂版が何種類も発表されてきました。これらの批判の中には、他の曲で名を残していないジュスマイヤーに対する偏見からくる言いがかりに近いものもあり、最近は、モーツァルトと同時代を生きた音楽家による校訂ということでの冷静な再評価がされ、現在でも「レクイエム」の底本としての地位を保ち続けています。本日の演奏は、このジュスマイヤー版を使用して演奏いたします。
(nobunobuta)
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2014年12月14日 第26回松戸市民コンサート@森のホール21 プログラム曲目解説として作成
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