「ミサ・ソレムニス」、日本では「荘厳ミサ」とも呼ばれていますが、本来は教会の主日や記念日に執り行われる典礼のうち、聖書朗読以外の全ての部分を歌う典礼(歌ミサ)の事を意味していました。時を経て、大規模な盛儀ミサで歌われるミサ曲の事を「ミサ・ソレムニス」と呼ぶようになりました。対する言葉としては、演奏の編成も小さく簡素な「ミサ・ブレヴィス」があります。
ベートーヴェン以外の作曲家も「ミサ・ソレムニス」を作曲していますが、日本での独特の略称である「ミサソレ」といえば、このベートーヴェンの作品といわれるぐらいに、突出した知名度を誇っています。
本日の演奏や今までにこの曲を聴かれた事のある方は、この重厚長大にも感じられるこの曲が「本当に教会のミサで歌うために用意されたのだろうか?」と疑問に思われる方もおられるでしょう。そもそもは、ベートーヴェンの庇護者で名門ハプスブルク家の直系のルードルフ大公(1788-1831)がオルミュッツ(現在はチェコ第5の都市)の大司教への就任が決まった時、大公のためにミサ曲を献呈し、翌年の叙任式で演奏することをベートーヴェン自身が申し出たそうです。
すぐに作曲を開始して、Kyrieを完成、Gloria や Credoは断片的にはできたものの、結局は叙任式には間に合わず、その2年後の1823年に完成しました。その時期は「交響曲第9番」(第九)の作曲時期とも重なり、1824年4月の「ミサ・ソレムニス」の初演の1ヵ月後に「第九」がウィーン初演された時、「ミサ・ソレムニス」の Kyrie, Credo, Agnus Deiの3曲も同日の演奏会で披露されています。
この曲が初演公開された当時から、さまざまな人々によって、ミサ曲として宗教曲としてどうなのかについて、批判を含むいろいろな批評がされてきました。叙任式での演奏が叶わなくなって以降に作曲された部分についてはかなりドラマチックな表現が増え、ベートーヴェン自身も、演奏会で演奏可能な宗教的題材に基づいた楽曲であるオラトリオ(当時は純然たるミサ曲は教会でしか演奏できない決まりでした)の作曲の構想を以前から持っていたため、この曲についてもオラトリオとしても演奏可能な楽曲として、楽譜の出版契約も結ぶようになり、だんだんと教会音楽としての枠を超えた楽曲が出来上がったようです。
「教会音楽としての枠を超えた」と書きましたが、これは決してベートーヴェンの信仰心の欠如を指したわけではありません。合唱部分だけの小節数にして「第九」の約3.5倍、昨年の「ヴェルディ・レクイエム」の1.5倍弱という量に圧倒されながらのハードな練習をとおして感じた、各楽曲への個人的な主観的な感想を交えて、ベートーヴェンの信仰心のありようを垣間見てみたいと思います。
Kyrie
Kyrie3唱、Christe3唱、Kyrie3唱というオーソドックスな典礼ミサの形式に準拠していながらも、演奏で使用している楽譜では「Kyrie!」と歌詞の語尾が「!」付きで、「神よ!」との呼びかけに切実さを感じます。 しかしながら語尾の「-e!」の音量は、なぜか p 指示。原典版の楽譜には冒頭に、「願わくば心より出でて、心へと還らんことを」と記されているように、この内省的な謙虚さがこの呼びかけにも表れているかのようです。
Gloria
「栄光の讃歌」の名に相応しく華やかさ満点に始まって、言葉の意味にマッチした曲想で比較的オーソドックスに進み、「in Gloria Dei Patris, Amen」のフーガで終わるかに思った途端に、冒頭の歌詞「Gloria in excelsis Deo」に戻り、再び神の栄光をこれでもかと云わんばかりに讃え続けます。
Credo
オラトリオとしても世に出そうとの気持ちが前面に出た、ドラマチックな楽曲。典礼文では「Credo(私は信じる)」という単語は最初の1語だけですが、各節の頭で繰り返され「信仰宣言」の名のとおり自らの信仰を強調し、キリストの生誕から受難、復活に至る情景の描写はオラトリオそのものですが、精霊への信仰や、教会及び洗礼に関する節は「Credo」の主題が高々と演奏される背景で、淡々と繰り返しも無く言葉を唱えるのみというあたりにベートーヴェンの信仰の主眼が垣間見えます。このまま曲を終えるのかと思ったら、最後の一節「et vitam venture saeculi(来世の命を待ち望みます)」との願いを延々と繰り返すフーガが2つ、この切実さがとても印象深いです。
Sanctus
バロック期以降のSanctusは壮大に始まる曲が多いのですが、この曲はAdagioで厳かに。「感謝の讃歌」という邦訳から言葉に疎い日本人は「感謝=Sanctus」のように英語のThankと混同することもあるようですが、本来の「聖なるかな」という語感からの神秘性あふれる作りだと思います。
Agnus Dei
神の子羊、イエス・キリストへの祈り、ミサの中でも一番ゆっくりとした厳かな曲調の曲が多い中、ベートーヴェン自らが楽譜に「内的な平安と外的な平安を祈りつつ」と記しているとおり、ナポレオンによるウィーン侵攻を経験した時代背景から、軍隊や戦争を想起させるモチーフと共に「pacem(平和・平穏)」への願いが曲の中心となり、繰り返し連呼される点がかなり特徴的です。
(NobuNobuta)
(2016年12月25日 第28回松戸市民コンサート @ 森のホール21 プログラム曲目解説として作成)
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